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 振れたのは指針で、触れてみたいと思ったのはその裏側だった。
 ここに来たのはただの偶然。
 そこに居たのもただの偶然。
 下らない妄想と勝手な期待と僅かな希望と確かな信頼をごっちゃ混ぜにした結果は、はてさてどうなるやら。
 生まれて初めての神頼みは叶ったのかな?
 少女が笑顔でいますように。
 願わくば、どうか二人分。

緑葉樹の実験

 魔界。森林。に切り開かれた湖。昼。
 昼食がてらピクニックと水遊びでもしない? という麻弓の提案に反対するものは誰もいなかった。その麻弓と樹によるセージ手製弁当争奪戦が終結し、今は各々昼食後の余暇を過ごしている。

「ここも久しぶりに来たけど、やっぱりいいわよね〜」

 ロングスカートの端を摘みながら素足の先を水面に浸す少女。まだあどけなさを残す相貌であるが、現時点においても魔王の血族、もう少し時が経過すれば神王夫人となる由緒正しい血筋の令嬢、サイネリアである。

「出来ることなら、愛しい愛しい神ちゃんが隣にいてほしいんだけどねー」
「そのご不満を解決する素晴らしい提案がありますよ」

 どこから現れたのか両手を横に勢いよく広げる樹。先ほど恐るべき健啖さを見せていた彼。あの大量の食物はこの細身のどこに収まったのだろう。

「神王さま(予定)を俺様に置き換えてみればいいんです。血筋的にはやや見劣りしますが本質的には何の遜色もありませんよ。むしろ三馬身ほど俺様が勝っているでしょう。それは、」

 差し出した手の平にぽんと花束を出現させてみて、

「あなたへの、愛の分だけ」
「うーん……二点かな。総合七百点満点で。もちろん神ちゃんは満点よ」

 その点数が意味することは完膚なき拒絶の意思で、けれどその男は緑葉樹。その程度では決してへこたれない。

「二点、ですか。なるほど。それが今の俺様を示すリアさんの評価なんですね……しかし! それはあくまで現時点においての点数でしかありません。男子三日会わずば刮目して見よ、といいますけれど、俺様なら三秒で十分です。さあ、目を瞑ってください。三秒後、瞼を上げたあなたの瞳に映るのは新生、緑葉樹ですから!」
「いっちゃんの前で三秒も目を閉じてたら何されるかわかったもんじゃないから、却下」

 語尾にはハートマークを付けて。至極冷静な判断である。消化の限界を迎えて向こうの木陰で目を回している麻弓嬢がここにいたならば太鼓判を押していただろう。樹のあしらい方を。ただ免許皆伝には至らない。あしらった後は問答無用で黙らせる程度の力技を加えなければ。何故なら諦めのよさには定評のある樹である。

「いや、そんな真似しませんよ。むさい男が相手ならば多少なりとも卑怯な手を使ってでも早急に目の前から排除しますけれど、リアさんのように美しい女性が相手ならば正々堂々、真正面から――」
「あー、本当に悪いんだけどさあ。いっちゃん」

 と、やや声を真面目にして、

「わたしってば本当に神ちゃんラブなのよね。それにまずいんじゃないの? 未来を変えないために色々と頑張ってるのにさ。わたしってば神ちゃんの娘を産んじゃうんでしょ?」

 サイネリアのこの言葉が契機だった。それまでの和やかな午後の暖かな空気も、昼食後にありがちな怠惰な雰囲気も一点に収束するように消え失せて、代わりに全方位から射抜くように威圧的な空気がサイネリアを中心に降り注ぐ。

「ああ、そのことについてなんですが、止めておいたほうがいいですよ。異種族間、それも神族と魔族の結婚なんて。ましてや御二方ともそれぞれの王族に名を連ねる方々です。先にある結果なんてもう見えているようなものじゃないですか」

 樹が言葉を発したことで、サイネリアはやっとその空気を作ったものの正体が目の前の少年であること知った。先ほど彼は三秒あれば、と言っていたか。とんだ謙遜だ。間隙などどこにもなかった。随分と切り替えの早いスイッチだ。この状態がオンなのかオフなのかはわからないが。
 これでも魔王の血族である。重苦しい空気など、これまでに幾度も体験してきた。しかしそれとは質が違う。今まで自身が中心にいることなど一度たりとてなかったからだ。自分が標的になる、肺を握り締められるような圧迫感。生まれてから呼吸を意識したことなど数えるほどしかない。

「よしんば結婚までこぎつけたとしましょう。神界は一夫多妻性です。第二、第三夫人とでもしておけばそう周りも口煩く言わないかもしれません。ああそうだ、神界と魔界の友好を結ぶための証、とでもしておけば風当たりも少なくて済むかもしれませんね」

 声色は少し前までの歓談と何も変わっていない。むしろ諭すような物言いは柔らかくなったといってもいい。それにもかかわらず、サイネリアは口を挟むことが出来ない。言い返したいことは山ほどあって、すぐにでも黙らせたいのに微笑の少年はそれを許してくれない。たかが人間界の年端もいかない少年に、魔王の一族であるはずの自分が確かに圧倒されるのを自覚する。

「けど二人の間にお子さんが生まれたとします。もしその子どもに何かしらの問題があったらどうしますか? 異種族間の交配は今のところ何の問題もないように言われていますが、可能性はゼロじゃない」

 樹は一旦、言葉を切って俯きがちに、視線は湖に向けたまま右手の人差し指でメガネの位置を直した。

「実はですね、これは俺様の知り合いの娘の話なのですけれど、その娘は父親が神族、母親が魔族なんですが、二人分の心、二人分の身体をひとつの空間に共有させているんですよ。片方が表に出てきているときは片方は出てこれない、しかも、片方は神族の血のほうが濃くて、もう一方は魔族の血が濃いんです。これはかなり珍しいケースですけどね。他に似たような例は聞いたことがありません。父親のほうが神界ではそれなりの地位にいるために魔族の血が濃いほうは存在を消されたも同然になっているんですよ。俺様たちはいつも表に出ている神族の血が濃い少女しか知りません。知っているのは多分、俺様だけでしょう。ご家族の方々も少女自身もそのことには一切触れたことはありませんし、俺様も偶然に知っただけですから」

 初めは混乱もあり、樹が何を言いたいのか要領を得なかったサイネリアだが、冷静さを取り戻すにつれ、徐々に輪郭が浮き出てくるのを感じた。これはメッセージだ。未来から来た、未来に何が起こるかを知っている彼の、自分に向けられた確かな警句。

「ほんの一例ですが、いや一例だけども、確実に不幸な人がいるんです。出来てしまったんです。回避できたはずなのに、最愛の人との間に子を作りたいという両親の我がままのせいで」

 空気の変化後、どちらからともなく、初めて二人の視線が交錯した。樹は笑っている。その笑みの真意は知れない。けれど非難の類でないことだけはわかる。いつの間にか突き刺すような威圧感は消えていた。サイネリアは俯き加減だけれども視線だけは逸らさなかった。逃げることは許されない。先延ばしにすることも。ここで、受け止めなければ。

「あなたたち夫婦に誕生する子どもがこのような経過を辿るかどうか、そこまではわかりません。けれど、たとえそうならなかったとしても、神族と魔族の間に出来る子どもです。それが王族間となれば問題は山済み。ですから無理な道は進まず、俺様との愛を築きましょう。魔族と人間なら特に問題はないはずですから」

 もう言いたいことはすべて言い終えたのだろう。
 樹は変わらない微笑のまま待っている。投げたメッセージに対する答えを。
 それが望みであるなら、自分が次に取るべき行動はもう決まっているのだ。

「いっちゃん、目を、瞑って」
「おお、納得してくれたのですね。ついに俺様の努力が実を結ぶときが……わかりました。俺様は歓喜のときを僅かばかり暗闇の中で待つことにします。その先にある光を夢見ながら」

 本当のところはどうなのかわからない。もしかしたら本当にただ口説き文句だったのかもしれない。今、目の前で意気揚々と瞼を落とした少年は、先ほどの言葉を紡いだ男と同一人物だとは思えないからだ。しかしあのメッセージだけは嘘だとは思えない。自分がこれから辿るであろう叙事。その過程と結果の繰り返しの中で生まれてしまう、あるひとつの命について。
 瞬間、樹の身体は反転し、頭から地面へと叩き付けられた。

「ぷべぼっ!?」
「いっちゃん。あなたの時代のそのどーしようもない誰かさんが可愛い可愛い娘の存在を否定しているのは事実なんでしょうね」

 声が震える。分かりやすい動揺だ。あまりにも明らかで、逆に冷静になる。相変わらず首の角度は固定されたままで正面を向くことを許可してくれないが。それでも言わなければならない。強がりでも、口先だけでも、未来改変の危険を冒してまで自分に教えてくれた少年に、

「でもね、わたしは、ここにいるサイネリアは、絶対にそんな馬鹿げた真似はしないわ。世間? しきたり? じょーとーよ。全部ぶっ壊してやろうじゃない」

 宣誓だ。彼に対して、自分に対して、そして世界に対して。浅はかだとは思わない。もともと神界と魔界の関係については何時か必ずきちんと蹴りを付けなければならない問題だった。何時までも旧態依然の体制を引きずっているわけにはいかないのだから。わかってはいたつもりだけれど、今まで自分はどこか他人事のように感じていた。
 きっと、優秀な兄が魔王になったらどうにかしてくれる。
 きっと、愛する殿下が神王になったらどうにかしてくれる。
 きっと、自分が何かしなくても誰かが良い方向に導いてくれる。
 他人に縋った甘えだ。無自覚であったことがせめてもの救いか。本当に神界に嫁ぐことを考えているならば、とっくに辿り着いているべき問題だったのに。

「なんたってこっちには両世界のトップ、いえトップになる人たちが付いているんだもの。それプラス旦那様とのラブな力で一切合財粉砕してやるわよ。なんの問題もなっしんぐ! だから、」

 一旦、言葉を切った。自分にも言い聞かせるように心の中で反芻してから、

「任せておいて。誰も、不幸にはしないから」

 放った言葉は力強かっただろうか、顔はちゃんと前を向いていただろうか、表情は笑えていただろうか。生まれて初めて魔界を治める一族の一人として自負を持って行った宣言だ。不安になるのも当然で。
 でもこれからやるべきことだけははっきりと自覚できた。目の前に広がり、そして佇んでいる。目を逸らすわけにはいかない。受け止めて、壊して、作り直さなければ。
 気紛れでも軽い気持ちでもなく、本当に、将来、夫になるあの人を愛しているから。
 足取りは重い。根でも生えてきたか。地面と縫い付けられているような気がして、一歩踏み出すのも一苦労だ。でもその感触は悪くはない。その歩みをはっきりと自覚できるから。一歩一歩、確かめながら歩いていこう。前を見据えて。

 まあ、でも、それはそれとして、

「あれだけ言われっぱなしじゃ、さすがに悔しいわよねえ」

 まだ強張る頬を無理矢理に緩ませて振り向き、樹のほうへと向かうサイネリアだった。

場面転換

 日の色が琥珀から茜へと変化する過渡期、ようやくキャパシティオーバーな胃腸の中身を活動可能にまで消化した麻弓が起き上がりに目にしたのは、せっせと穴を掘る友人の母(予定)と微妙に嬉しそうな悲鳴を上げながら首まで地面に埋められる幼なじみの姿だった。
 作業が終わったのか、サイネリアは両手を軽く叩き払うと、麻弓のほうに歩いてくる。

「ごめんなさいー、リアさん。あたしともあろうものが最大危険人物を野放しにしたまま眠りこけちゃって〜」
「あー気にしないで。全然。むしろ……」
「むしろ……なんですか? その不吉な言葉の途切れは……もしかしてあの世界ド変態ランク第一位を超えて名誉チャンピオンに鈍く輝くお馬鹿に何かされちゃっておかしな世界に目覚めちゃっとかっ!?」
「それはないない。わたしの世界は、神ちゃん無しにはありえないもの」

 そう言うと、サイネリアは屋敷のほうへと向かった。
 放って置いても一向に構わないどころか、出来ることならそのままこの素晴らしい森林たちの肥やしにでもなってしまったほうが世界にとっても自分にとってもいい結果になると思うものの、確かめたいことがあるので仕方なしに地面から首だけ生えた男の隣に立つ。

「まーたこっぴどくやられたもんね」
「ふ、俺様は愛を求める孤高のハンター……獲物が極上ならばこれくらいの怪我は覚悟の上だよ。なーに、これくらいの痛手で美少女が俺様を愛してくれるなら快感に変わるというものさ!」
「その美少女に怪我だけ負わされた挙句? 地面から首だけ出してそんな戯言ほざいている姿はなかなかに滑稽なのですよ」
「むしろ酷刑といってほしいね……」
「ま、そんなことどーでもいいんだけどねー」
「用がないなら早々にこの場から立ち去って欲しいね。光の速さで。この姿に同情した美少女が俺様に手を差し伸べてくれるかもしれないだろう? そんなとき傍にお前がいたら余計な誤解を与えてしまうかもしれないからね」

 麻弓は横目で、にっ、と意味ありげに口だけで笑って見せると、

「なんか、また企んでるでしょう?」

 十年という月日をどう見るか。間違っても恋人などという甘ったるい関係になど過去にもなければ今後もなることはない。けれど一般的にいう友人という枠はとうに脱していることだけは確かだ。その関係に万人が納得する名前を付けるのは難しい。だが少なくとも今の周囲を見渡すなら説明なしにここまで事態を察することができるのはこの組み合わせしかない。
 樹の表情に変化は見られないが、麻弓は確信しつつ続ける。

「なんだかリアさんの顔付きが変わってたもん。なんていうか、何かを決意した? みたいな」
「ふーん、なるほどねえ。麻弓も、それくらいは判るようになったのか」

 否定はしなかった。何かがあったことは認めている。

「あら、麻弓ちゃんの読心術といえばバーベナネットワーク内でも有名なのですよ? 一目見られれば全部が暴露、真実を見出す双色の瞳って」
「はいはい、麻弓がこれから先、身につけることができるのはせいぜい独身術くらいのものだから」
「まあ今の暴言はあとでたっぷりねっとりじっくりお返しするとして? 何を言ったわけ? リアさんに言うことだから、当然娘さん絡みなんでしょ?」
「さあてね」

 どうだと思う? と言いたげな樹の表情にそれまで喜色満面だった麻弓は一転して眉を寄せるとつまらなそうにため息を付いた。この男がこういう思わせぶりな態度を取ったら最後、本心を語ることは絶対にないことを知っているからだ。どうやら自分はこの悪巧みに付き合わせてはもらえないらしい。

「でもいいわけ? ただでさえ過去に来て未来を変えちゃうかもしれないとか言ってるのに」

 麻弓の言葉に樹は苦笑して見せた。恐らくサイネリアにも同じようなことを言われたのだろう。

「別に。ただここまで過去に干渉したんだ。無事うまく帰れたとしても全てがここに来るまでのように元通りになっているとは到底思えない。ああ、ちなみにパラレルワールドの可能性はここでは省かせてもらうよ。あくまで時間軸はひとつしかないという前提で話を進めているから……といっても、麻弓には理解できないだろうけど」
「しっつれいねー。そのくらいなら麻弓ちゃんにだってわかるのですよ。あれでしょ? こことあたしたちがいた時代は一直線で、ここでしたことはあたしたちの時代に何か影響を残すってことでしょ?」
「リンちゃんの変化を見る限り間違いないだろうね。時間移動は解明されていないことがまだあまりにも多すぎるから断言することはできないけれど。というか実例だって今回が全世界で初めてかもしれないよ? まあ、原因は誰かさんの誰かさんによる誰かさんのせいで起きた、下手をすれば存在が消滅していたかもしれない、最低限のマナーさえ弁えていれば回避できた事故だったわけだけれども」
「どこですか誰かさーん。速攻出てきて土下座しなさーい」
「まあでも、事故とはいえ結果だけ見れば成功したわけだ。研究分野にこの経過を売り込めば相当な額に――」
「あたしってば凄くない!? 今まで誰も実行できなかったことをやってのけたわけでしょ? いわばフロンティア! これだけでも十分見返りがあるわよね、うん。さすが麻弓ちゃんと言わざるをえないわ。あ、緑葉くん? おこぼれに預かろうなんて考えちゃ駄目よ? 今回の手柄は一から十まで徹頭徹尾、全部あたしが頂くから。うーん、でももしそうなったらテレビとか新聞、雑誌に出ることも考えなきゃならないわね。世界にこの麻弓=タイムの名が轟くのですよ〜」
「うん、実に貴重なサンプルだからね。これからの人生、大半をモルモットとして過ごすんじゃないかい? 人体実験はもちろんのことまた時間移動を試されたり。息を引き取るまで管理もとい世話をしてくれるだろうから老後の心配は皆無だよ。ああでも、俺様はごめんだから売り込むときは自分一人が体験したことにしてくれよ? 是非とも麻弓は人類の今後のために犠牲になってくれ。歴史と科学の教科書に写真が載ったら落書きくらいはしてやるから」
「ったく誰よこんな危険な目に合わせたの。見付け次第ふんじばって謝罪と賠償を要求してやるのですよ」

 どこまでも逞しい幼なじみに暖かい視線を送ってやる樹だった。
 まあそれは言いとして、と仕切りなおし、

「このタイムスリップは既定事項だった、という可能性も決してないわけではないけれどね。あの魔王さまのことだ。過去に俺様たちと会ったことがないなんて振り、造作もないことだろうし」
「ああ、あの人なら平然とやってのけるわね、間違いなく」

 たとえ生みの親を前にしても「御初御目にかかりまして大変光栄です」の台詞とともにその時点から他人同士の初対面を演出する話術を彼は会得している。
 もしかして、今まで距離的には相当近くにいたはずのセージやサイネリアに遭遇しなかったのは、ボロを出させないための策略だったのかもしれない、という勘繰りだって、あの智将相手ならば決して考えすぎとはいえない。

「けどあくまで正史ではこのタイムスリップはイレギュラーで、ここでの出来事は未来に影響を及ぼすという前提で話をするとさ、もう元の時代の何かしらの変化は避けられないんだよ」

 少なくとも、帰ればここであった人たちとは「再会」になってしまう。互いにしらばっくれることも十分可能だが、そうなったとしても事実は消えない。

「だから、どうせ完全完璧元通りにならないなら、未来に対して実験してみようと思ってね」
「またよからぬことなんでしょ?」

 唇を尖らせてみる。その内容はどうあっても教えてはくれないだろうから。

「失敬だね。俺様はいつだって世界にとって有益になることを考えて行動しているさ」
「ちなみに母親に何を言ったって、あの娘が緑葉くんになびくのは無理だと思うわよ」
「ああ、なるほど。そういう考え方もありか」
「は?」
「いや別に。大体そんなことわからないだろ? 幼いころから常に俺様の名前と素晴らしさを説いていればさ。それに今回、あいつは向こうだけで手一杯だろうし」

 樹に合わせて麻弓もちらり、と視線を対岸に送ってみた。そこには髪の色が違う、見知っている少女とその母親になるかもしれない少女、が二人。さらにその間に一人の少年がいる。
 あっちはあっちで大変そうだ。それにしてもつくづく厄介ごとが好きな少年だ。自分の恋人の無事を何よりも優先しているようだが、その上で出来れば誰も不幸にならない道を模索している。最善以外の道を回って最悪の結果を招いたときのことまで考えているのだろうか。でもあの少年ならば最後には必ず良い着地を決めて見せるだろう。必要以上の心配はしていない。

「ま、それは限りなく実現して欲しい冗談だとしても、もしかしたら帰れずにこのままここで頓挫することになるかもしれないんだ。だったら、」

 言葉を切った樹を対岸から視線を戻した麻弓が見やる。珍しい、本当に極たまにしか見せない笑みを浮かべていた。

「もし無事に帰ることが出来たら、俺様の周囲にいる美少女が一人増えているくらい、いや、増えていなくても、その少女の存在が公然の事実になっているくらいの嬉しいサプライズ、あってもいいと思わないかい?」
「? あれ、あの娘に関してのことじゃないわけ? それとさっきのリアさんとどう関係があるのよ? あんたが何を言おうとしてるのかちっともわかんないんだけど」

 麻弓は首を傾げる。自分はてっきりサイネリアが産む少女に関連する何かだと思っていた。だが樹の言いようから察するにどうやらそれは見当違いらしい。樹は同じ笑みのまま、

「構わないよ、わからなくたって。一向に。俺様の考え過ぎだったり、単なる勘違いだったらそれに越したことはないんだ」

場面転換

 今回のことはただの推測から始まっている。きっかけからして馬鹿げていて真相をそのまま他人に語るなどとても出来ない。
 ある日の放課後、たまたま出くわして何時ものように名前を呼んだら、なんともいえない悲しげな表情を見せて走り去った人物。
 その後しばらくして「神族と魔族が持つ魔力の異なる点について」という論文を書くために自身が学生の拙い知識を用いて錬金術で作製した魔力測定器が示した唯一他の対象とは異なる値だった人物。
 同一人物だった。
 神族の美しい少女。
 測定器が指した値は、普段は神族寄りだが時折、魔族の側に傾くということを繰り返すもの。ハーフである麻弓でも完全に魔族側に傾くことこそないものの針が振れ続けるなどということはなかった。
 ほんの数人にしか試していない上に、そもそも測定器の精度すらも怪しい。
 それだけだ。
 たまたま、偶然、切り捨てようと思えばいくらでも捨てられる。でも樹は捨てる気になれなかった。しかし確固たる証拠はない。はっきり言ってしまおう。ただの勘だ。第六感、シックスセンスとでも言い換えれば少しは格好がつくだろうか。
ほとんどがあやふやで不安定の極みともいうべき事象から弾き出した、ただのつまらない推測。

 同じ位相に二人の人間が存在するのではないか?

 推測という言葉すらおこがましい。単なる妄想だ。だが妄想は止まらない。しかもこの時代に来て知った、その少女の両親は神族と魔族、違う種族だという事実が尚いっそう下らない妄想に 拍車をかける。それまで少女はどの夫人から生まれたかは一般には公表されていなかったからだ。
 妄想はある推理を展開する。
 少女の周辺にいる人々はみなもう一つの存在に気づいているのではないか。確かにそこにいることを知っている。にもかかわらず、彼女は存在しないものとして扱われている。恐らく、神族のもとに生まれた魔族にもたらされた最大の譲歩なのだろう。
 ユーストマがサイネリア以外の夫人との間に子を設けないのもこれ以上事態をややこしくしないためだと思われる。サイネリアを除く二人の夫人は神王の幼なじみということから鑑みて純粋な神族だ。もしその二人とのどちらかとでも子が出来てしまえば、いくら神族の血が濃いといっても所詮、少女は混ざり物。その存在はとても微妙なものになる。凝り固まった世界で純粋がいる場合においての不純の存在など許されるはずがない。王位継承権が剥奪されるだけならばいい。下手をすれば一族から追放、最悪を辿れば抹消だ。
 次に妄想の対象は少女自身へと向く。
 その隠された存在を、自らの半身ともいうべき存在を少女は認めて欲しいと強く願っているはずだ。生後、どれくらいでその存在を把握したのかまでは推測も及ばないが、自覚があるのであればまさに姉妹以上の関係を築いているだろうからだ。と同時に、親の立場も十分理解していて、それを要望してしまってはいけないことも理解している。自分が強く懇願すれば、すべてを捨てでも父親が、それこそ命をかけてでも世界にその存在を認めさせてしまうだろうから。
 認めて欲しい、けれど、今を壊したくない。少なくとも、消滅させようとしているわけではないだろうから。
 歯がゆい思いを抱えながらの現状維持か、なりふり構わない一か八かの現状打破か。
 あの美しい少女がそんな健気なジレンマに苛まれていることを思うとやり切れなくなる。誰にも相談しようがないのだ。
 ふと思う。幼い頃から微妙な立場にいた少女があの少年に恋した理由は、この辺にあるのではないかと。
 裏の存在は自身をどう捉えているのか。王族として生まれながら隠遁されて、ただ魔族の血が濃いという理由で腫れ物どころか無いものとして扱う周りや家族に対して憤慨しているだろうか。いや、あの少女の姉妹兼同居人ならばそんなこと思うまい。ただ、普通に一個人として認めてもらいたいと願っているはずだ。そして神王を父と呼び、三人の夫人を母と呼び、何より少女と姉として、妹として向かい合って話しをしたいと。歴史だとか王族だとかどうだっていい。ただ極普通を過ごしたいんだと。でも裏の存在も自身が神族にとって爆弾でありアキレス腱であることを重々承知しているはずだ。だから表には決して出てこない。恐らくだが、自身を示す固有の名詞さえ当てられていないのだろう。いるけど、いないのだから。
 この推測まがいの妄想の集大成が的を射ていようものならば、いや少しでも掠めていようなら、つい先ほど自分があの少女にした警句はもしかしたらこれから先、三世界の内、二つの世界を消滅させてしまうきっかけになってしまったのかもしれない。戻ってみたら、神界? 魔界? それなんてエロゲ? なんて事態になっていたら大笑いだ。
 けれど。
 それでも、ユーストマなら、フォーベシィなら、そして未来からの異邦者から示唆というには随分とあからさま過ぎる予言を受けて微笑んだ見せたサイネリアならば、最悪の事態を回避してなおその上で、誰もが不幸にならない結果を導き出してくれそうな気がする。
 そもそも二つの身体、二つの精神があれば理論上、分離は可能であるという論証は、二人の魔族を融合する実験に立ち会ったと囁かれる魔界屈指の科学者の著により裏付けが取れているし、また例え分離が不可能だったとしてもその存在をオープンに出来るだけでもかなりの前進だ。ようは周囲にそれをどう納得させるか。すべてはそれにかかっている。
 単純な期待だ。無責任でいて他人任せな。
 樹は大抵いつもそうである。何か問題があるときに解決のためきっかけを作ることや他人をけしかけることはあるけれども自分が当事者になって積極的に立ち回ることは滅多にない。その理由が彼の口から語れることはないだろう。多分、彼自身もよくわかっていないだろうから。
 期待自体、根拠も何もない妄想から生まれた。入り混じって積み重ねていったその一番上に二つの願望を添えてみたのだ。
 万人は、そんなことのために世界を危機に陥れるかもしれないのに、と嘆き非難するだろう。緑葉樹にとっては死活問題である、一人でも多くの美少女の笑顔を見たいと。
 そして彼の言葉を借りるならば、一応出来ることなら恋人であることに越したことがないしそんな関係を強く要望するのだけれど今は取りあえず百歩譲って暫定的に、友人として、少女の憂いが無くなるように。
 この問題が喚起されたならば神界と魔界のこれまでの関係からいって彼らがどう立ち回ろうともその過程において大なり小なり争いは避けられない。だから局地的に見た場合における自分がしたことの愚かさは認めてもいい。けれど自分の意見を変えようなどとは微塵も思わない。大局的に見てみろ。十年前、それまで存在を匂わせることすらしなかった人間界に揃って姿を見せたのだ。それに比べたら王族に新たな血を認めることくらい些事ではないのか?
 世界の安定と少女の笑顔。優先順位をつけるなど馬鹿ばかしい。世界が安定していても少女の笑顔は保証されないが、少女が笑顔でいるならその世界は確実に安定しているはずだからだ。
 無事帰還したあと、問題が解決を見せておらず、尚且つ事態が逼迫していたら愚考を提供してもいい。そうなっていたら原因はほぼ間違いなく自分だ。あのお人好し少年も巻き込んでやろう。本人の意思なんか知ったことではない。あんな美少女に恋される身なのだ。それくらいの責任は負うべきである。もっとも彼も反対しないだろうが。
 でも何故だろうか。あの少年が間に入ったら別の形で事態が丸く収まる気がする。つくづく不思議で不可解で興味の尽きない少年だ。
 どのようになるにせよ、ことが起きれば最終決定権は少女の親であり種族を纏める神王が握っている。
 自分に出来るのはせいぜい当事者の一人をけしかけるだけで、あとはもう本当の意味で神のみぞ知り、神のみしか実行できない。
 だから樹はガラにもなく、これまた本当の意味での神頼みをしてみるのだ。いや、この場合は神頼りとでもいうべきか。神頼、などという言葉を作ってみて即座に削除する。

「だからわけわからないってば」

 麻弓が不機嫌さを隠そうともせずに小石を湖に投げた。いつの間にか日はとっくに傾いて、空は茜色と藍色の層に分かれてその間に境界線が走っている。若干、藍色の層が全体の割合を占めてきた。
 麻弓が投げた石は、放物線を描いて沈みかけた太陽を映し出す湖に小さな波紋を生んだ。落ちた場所を中心に円状の波を起こしてすぐに消える。あの石はこの湖にどんな現象を起こしただろう、またこれから何を起こすきっかけとなるのだろう。
 自分は、この時代に意思を投げ込んだ。これもバタフライ効果、といえるのだろうか。ただ自分で確認が可能だ。その波紋は未来にどんな結果を生み出したのか早く確かめてみたい。誰もが望む結果になっていなくても構わない。少なくとも彼女らが幸せならば、樹の実験は成功なのだから。
 念のためにもう一度、願っておこう。
 世界が変わらずそこにあるようにと。
 元の世界で初めて出会う母親となった少女の口から漏れる言葉が謝罪ではありませんようにと。
 あの少女の笑顔が一層輝きを増しているようにと。
 そして出来れば、それが二人分あるようにと。


掲載日
2007/12/25

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更新日:2008年1月27日
作成者:あきゅら
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